明神館の歴史
1931年6月、創業者斉藤武茂が「扉温泉 明神館」として開業しました。山で採れたもの、畑でつくったものでおもてなしをする家族経営の小さな宿でしたが、作家や学者が長期間逗留し、執筆に取り組むことも多くありました。
1964年には周囲一帯が、八ヶ岳中信高原国定公園に指定されます。この地域には、「道祖神」が多く、道祖神巡りの旅の宿としても、遠方から多くの方がお越しくださるようになりました。
岩戸伝説。日本神話のなかの話です。
天照大神(アマテラスオオミカミ)が須佐之男命(スサノオノミコト)の乱暴に怒り、天の岩屋にお隠れになってしまいました。世の中は真っ暗闇になり、みな困ってしまいました。
他の神々はなんとか出てきてもらおうと知恵をしぼり、岩屋の外で鶏たちを鳴かせたり、にぎやかな宴を開きました。天照大神がなんの騒ぎだろう、と岩戸を開けて外をのぞいたとき、力持ちの天手力男命(アマノタヂカラオノミコト)が岩戸をぐっと開けて下界へ投げ捨てました。こうして天照大神の光がふたたび世の中に注がれ、めでたく世の中は明るくなったのです。
投げられた岩戸はだいたい日本の真ん中に落ちたそうです。落ちてきた岩戸が戸隠山になった、という話もあるようですが、わたしたちの地元では、入山辺の山中に落ちた、と伝えられてきました。実際、幅4メートル、高さ15メートルの切り立った二枚岩が明神館から3時間ほど山中を歩いたところにあります。「扉」という地名にはそういう伝説があります。
また別の説では、このあたり一帶は、神様たちが湯治に訪れる場所だったとも言われています。岩戸を担いだ天手力男命もここを訪れ、お湯につかってゆったりした気分になって岩戸を置き忘れていったのだ、という話も伝わっています。神様たちの宿、という意味で、創業者斉藤武茂が「明神館」と名付けました。